一般教科(自然科学)の歴史

人文と自然の分離

開校以来、国語、社会、数学、物理、化学、 保健体育、芸術、英語、第二外国語(ドイツ語、ロシア語、フランス語)の 科目担当教員で構成していた「一般教科」ですが、 その後、運用上からさらに、各学科共通の専門科目(いわゆる「共通専門科目」) の担当教員も所属することになり、 急速に人数が増えていきます。 具体的に言うと、 昭和47年度に応用数学1名(石井講師)が、 51年度に応用物理3名(池上教授1、前田講師、高橋助手2)が加わり、 52年度にはさらに情報処理1名(室賀助教授3)が加わりました。 そのため大所帯になった一般教科は2科に分割されることになりますした。


1,2本校機械工学科より

3本校電気工学科(現電子メディア工学科)より


こうして昭和52年4月以降は、 国語2名(水澤教授、岡上助教授)、社会3名(坂戸助教授、田端助教授、柳沢助教授)、 保健体育2名(田村教授、内田助教授)、英語2名(野村講師、福島教授)、 露仏独語3名(糸川講師、柴山助教授、桑原助教授)の合計12名の専任教員 および2名の事務官(諸田三代子、青木菊江)からなる一般教科(人文科学)14名と、 数学4名(横山教授、田中教授、岡部助教授、斎藤講師)、物理1名(根岸教授)、化学1名(清水教授)、 応用数学1名(石井助教授)、応用物理3名(池上教授、前田講師、高橋助手)、 情報処理1名(室賀助教授)の合計11名の専任教員 および2名の事務官(羽鳥美江子、武井万里子)からなる一般教科(自然科学)13名の2科に分割されました。 こうして現在の一般教科(人文科学)と一般教科(自然科学)が確立し、現在に至ります。

現在もそうですが、当時も授業は専任教員のみでは全時数を担当できず、 非常勤講師を招聘して補完していました。 昭和52年当時、自然科学系の非常勤講師は、 数学、物理、化学にわたり計10名に及んでいます。