一般教科(自然科学)の歴史

人文自然の分立以前

現在、一般教科(自然科学)と一般教科(人文・体育)は別の組織になっています。 しかし、群馬高専設立当初(昭和37年4月) から昭和52年3月までの15年間は、これらは一つの部署「一般教科」でした。 一般教科は、各学科と違って所属する学生を持たず、 各学科の学生に共通に課している、 いわゆる一般科目を担当する部署でした。

一般教科の当時の様子を、昭和47年度を例にとって説明すると、 人文体育系は、専任教員として国語2名(水澤教授、岡上助教授)、 社会3名(坂戸助教授、田端講師、笠井助教授)、保健体育2名(田村教授、内田講師)、 英語2名(山田教授、福島助教授)、ロシア語1名(左近講師)、 フランス語1名(柴山講師)、ドイツ語1名(桑原講師)の計12名が在籍しており、 自然科学系は、専任教員として数学4名(細谷教授、田中助教授、奴白講師、岡部講師)、 物理1名(根岸教授)、化学1名(清水助教授)、 応用数学1名(石井講師)の計7名が在籍していました。 上記専任教員19名に加え、事務官等4名(諸田三代子、渡木美子、羽鳥美江子、関口千鶴子)がおり、 総勢23名による構成でした。