群馬高専の歴史

第1回入学式と校歌

昭和37年4月23日、県営スポーツセンターを式場として、 開校式と第1回入学式とがあわせて挙行されました。 式の様子は、テレビカメラに収められ、 この日の夜のニュースで放映されました。 4月25日から授業が開始されましたが、 このとき鳥羽町(現校地)にはまだ校舎・寄宿舎はできておらず、 最初の1年間は旧前橋市立工業短期大学(前橋市岩神町1084番地) の第3号館・第4号館・学生ホール兼卓球場・自転車置場、 および敷地2696坪が仮校舎に充てられました。 鳥羽町に校舎が完成したのは翌昭和38年3月のことです。 本校舎への移転は昭和38年4月10・11日の両日に行われました。

とはいえ、このとき完成したのは、講義室と管理棟と寄宿舎の一部だけで、 各工学科棟や体育館は、その後、第2期以降の工事に持ち越されました。

このころ、校歌の作成を一流の専門家に委嘱することが決まり、 詩人の佐藤春夫氏から快諾を得ることができました。 佐藤春夫氏は、新校舎に移った本校の状況を直接見た上でなければ、 的確な作詞のイメージが浮かばないという良心的な態度で臨まれ、 ご高齢にもかかわらず、昭和38年11月6日、わざわざそのために来校されました。 このときの印象を元に作詞されたのが本校の校歌です。 また作曲は、この道の最高権威、信時潔氏を煩わすを得ました。 こうして本校校歌が完成しました。