群馬高専の歴史

骨格確定

昭和37年1月18日と20日の両日、 文部省において国立高専12校(いわゆる一期校)の設置本部合同会議が開かれ、 群馬県からは、神田知事・黒沢県教育長ら14人が出席しました。 この会の席上、群馬工業高等専門学校という名称が正式に発表されました。 また学科の種類は、機械・電気・土木の3科とし、 各科1学級ずつが設けられることになりました。 また開校準備を進めるため、群馬工業高等専門学校設置準備会が設立され、 委員長には小林行雄文部省大学学術局長、 委員には文部省関係官のほか群馬県内の関係者として、 神田知事・岡田県議会議長・山田県教育委員長・長谷川群馬大学長・下田群馬大学工学部長・石井前橋市長・住谷高崎市長ほか二名が選任されました。

昭和37年2月21日には下田功群馬大学工学部長が初代校長に内定しました。 3月1日に群馬大学と県教育委員会とが合同しての教員選考委員会が開かれましたが、 教員人事については下田校長に一任することになりました。 なお、教員選考については既に36年8月中旬に高専設置申請書を提出する際、 下田群大工学部長・浅野群大工学部教授らを中心に教授選考委員会が組織され、 同委員会は同月25日に15名の教員候補者を推薦していました。 37年4月にはそのうち6名が就任しました。