群馬高専の歴史

群馬高専の誕生

昭和37年4月の開校を目指して全国に8校の高専を新設する、 との方針を決めた文部省(現文部科学省)は、 昭和36年8月、全国各都道府県に対して、 高専誘致の意志の有無を打診しました。 関東ブロックでは、千葉・埼玉・栃木・群馬が張りあうことになりましたが、 昭和36年11月7日、期成同盟会は、 文部省より群馬県に高専設置が内定したとの非公式連絡を受けました。 このため県は、同年9月、群馬会館第1会議室に群馬県下11市の市長・市議会議長・商工会議所会頭を招いて、 募金委員会を結成しました。

文部省は昭和37年度の国立高専設置校数を当初予定の8校から、 17校に増やして大蔵省と予算折衝に入っていましたが、 大蔵省は第一次査定では5校しか認めませんでした。 幸い、第二次査定で、群馬県への誘致はほぼ確実になり、 明けて昭和37年1月10日、 国立高等専門学校の前橋・高崎地区設置が正式に決定した、 と文部省から県に通達がありました。 期成同盟会では、早急に敷地買収・整地、文部省に推薦する教授陣の人選、 校舎・学生寮ができるまでの仮施設(前橋市立工業短大)の準備などを整え、 文部省に引き継ぐことになりました。