群馬高専の歴史

敷地の確保

この期成同盟が苦労した仕事の一つは、建設敷地確保の問題でした。 県当局は、当初から前橋・高崎両市の中間地点を念頭において敷地の選定を急いでおり、 7月下旬には前橋市鳥羽町・高崎市正観寺町にまたがる現校地を最有力候補地としました。 現校地が有力視された理由は、 (1)両市の中間地点である。 (2)新前橋駅から約1.5キロであり、 また建設が予定されている新国道(現高前バイパス)のすぐ近くに位置しており、 交通の便が悪くない。 (3)一部地主はすでに所有地を売却してもよいという意志を示しており、 また地価も3.3平方メートル当たり千円前後と手ごろであった、などでした。

しかし、この土地問題は、その後長く尾を引くことになるのです。 当時、鳥羽・正観寺周辺は、 わが校歌に歌われているように、 桑園の広がる農村地帯でした。 敷地予定地域には地権者が38人おり、 当初は地域の発展のためにということで前向きな姿勢でした。 しかし、話が具体化するにつれて、 先祖伝来の農地を手放すことへのためらいが生じたのです。 さらに、農地売却後の生活に不安があったこと、 用地が広大なため地価にかなり差があり、 買収評価基準に問題があったこと、などもありました。 結局、翌37年2月8日に土地評価法を改めることにより土地問題は解決したのです。